おはようございます。仙台教会の風間義信です。
あすは今月最後の日曜日ですが、キリスト教会では明日から、来月のクリスマスへと向かって行く季節を迎えます。その期間を待降節(たいこうせつ)と呼んでいます。
待つ、降りる、節と書きますが、その言葉の通り、降りることを待つ季節です。何が降りるのかといえば、それはイエス・キリストの誕生、神が人となられ、この世に生まれられた、降りてこられた、このことを待ち望む時です。
このことを聖書では「神が御子を世に遣わされた」と言っています。それだけでなく、その目的は「世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」(ヨハネ3:17)だというのです。誕生の知らせなのに、どうしてわざわざ「裁くためではなく」とあるのでしょうか。それはこの「世」、私たちといっても良いでしょう。世が神を離れ、裁かれるほどのものとなってしまったからです。それを罪と言います。
しかし、そうであってはならないと、人の罪を担って、この罪の赦しのためにご自分の命をささげて救いを成し遂げるためにイエス・キリストは誕生されました。このことを思いつつ過ごすのがこれからの季節です。あなたにとっても、このような毎日となりますよう願っています。