いかがお過ごしですか。北中山教会の坂本です。
イエス様の時代に、ユダヤ教の立派な宗教家たちは、「清さ」を一生懸命に求めていました。彼らは規則に従って、食べ物にも気を付け、手を洗い、身を清めることを守っていました。しかしイエス様が求めておられるのは、外側の清さではなく「心の清さ」でした。
私たちは、どんなに外側を洗い清めても、心の中から悪い思いや行いが次々と出てきます。罪の汚れが私たち自身の中に巣くっているからです。
清い心は、自分では作り出すことはできません。神様が新しい心を造って私たちに与えてくださらなければ、私たちは清い心を持つことができないのです。
この清い心を与えてくださるのが、神の御子イエス様なのです。清くも正しくもない私たちの心を、十字架の死によって清くしてくださったからです。しかし、私たちは今も変わらず汚れた心を抱えています。しかし、そのような私たちに「自分を見ること、他人と比べることをやめて、罪を赦し清めてくださる神様を見つめる人こそ、幸いな人なのだよ。」と、イエス様は語りかけておられるのです。
聖書の言葉『心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。』マタイによる福音書5章8節