ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
番組のリスナーからしばしば寄せられる質問に、「祈ることができないのですが、どうしたらよいでしょうか」という質問があります。祈ることができない理由は、人それぞれにあります。あまりにも忙しくて、落ち着いた時間が中々取れないという人もいます。あるいは、苦しみが大きすぎて、祈る気持ちになれない、という人もいます。家族の中でたった一人、クリスチャンである人は、周りの家族を気にしすぎて祈れない、ということもあります。
祈ることができる人から見れば、そんな理由は取るに足りない、と思われるかもしれません。けれども、無理強いしたとしても、決してその人が祈れるようになるとは限りません。祈れないという苦しさの中で、ますます祈ることができない自分に失望してしまうことさえあります。
こんな時、イエス・キリストなら、その質問にどうお答えになるだろうかと思います。福音書に描かれているイエス・キリストのお姿を見る限り、祈れないなどという経験は、このお方にはきっとないことでしょう。十字架の苦しみのその時にも、父なる神に祈るイエス・キリストです。
けれども、イエス・キリストは人々の弱さや苦しみを理解できないお方では決してありません。弱いペトロが、イエス・キリストとの関係を否定して、信仰の弱さに自分自身が悩むことを見越して、イエス・キリストはペトロのために信仰がなくならないようにと、とりなしの祈りをしました。そして立ち直った時には、兄弟たちを力づけるようにとおっしゃいました(ルカ22:32)。おそらく、これがイエス・キリストのお答えなのだと思います。
「あなたが祈れないとき、わたしがあなたのために祈っている。だから、祈れるようになったら、ほかの人のために祈りなさい」。そうお答えになるように思います。
さて、今日取り上げる個所には、とりなしの祈りの勧めがなされています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 テモテへの手紙一 2章1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
パウロはテモテに、第一のこととして、「願いと祈りと執り成しと感謝」とをすべての人々のためにささげることを勧めています。「願いと祈りと執り成しと感謝」という四つの事柄をするように書かれていますが、おそらく、パウロの念頭にあったのは、この四つが一つの祈りの要素として考えられていたのでしょう。言い換えれば、祈るときには、ただ何かを願う、ということに限定されないで、そこには、執り成しや感謝も含まれるということです。そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。