おはようございます。清和女子中高の小西です。
北海道に有珠山という活火山があります。ふもとには洞爺湖という大きな湖があります。そのほとりにある月浦地区のペンション「カフェ・マーニ」を舞台にしたのが小説「しあわせのパン」です。
カフェ・マーニには春夏秋冬、いろんな事情を抱えた人たちがやって来ます。それを温かく迎えるのが水縞くんとりえさん夫妻です。大泉洋と原田知世で映画になりました。冬に来た坂本さんという老夫婦の話です。
坂本さんは神戸でお風呂屋さんをしていましたが、1995年の阪神淡路大震災ですべてを失います。有珠山の有と月浦の月を取って有月(ゆづき)と名付けた一人娘も失いました。それでもお風呂屋さんを再建してがんばってきたのですが、奥さんのアヤさんが末期の肺ガンになり、認知症も進み、自分の体も動かなくなってきました。そこで二人にとって思い出の場所である洞爺湖で死ねたらとやってきたのです。
二人がカフェ・マーニについたのは猛吹雪の夜でした。体調の悪いアヤさんは疲れ切って意識も確かではありません。ところが水縞くんの焼いた「うぐいす豆」の入ったパンの香りに気がつき、そして引き寄せられるようにカウンターに近づき、そのパンを手に取ってガブリとかぶりついたのです。
坂本さんは、食欲のないアヤさんがパンを食べるのを長年見たことがありません。アヤさんはパンをほおばりながら言いました。「おいしい。お豆さんの入ったパン、おいしいなぁ。」そして続けて言いました。「私、明日もこのパン食べたいなぁ。」
坂本さんはアヤさんの一言に愕然とします。79歳の自分は、これまでがんばって生きてきた、やれることはやってきた。その自分が歳を取って体が不自由になり、昨日できていたことが今日できなくなっている、だからもういつ死んでも誰も文句をいわないだろうと考えていました。それがいかに傲慢であるかに気づかされたのです。
死ぬことは、たとえ自分の命であっても、それは自分では決めてはいけない、それは神様が決めるものであって、死ぬ瞬間まで人は生き続けなければならない。それがキリスト教の考え方です。つまり、自分の人生に簡単に答えを出してはいけないということです。
神戸に帰って間もなくアヤさんは亡くなります。一人でお風呂屋さんを再開した坂本さんから、水縞くんとりえさんに次のような手紙が届きます。「私はたまたま生き残ったんやと思います。せやから『もうええやろ』と『まだまだ』を繰り返しながら、とりあえず今日一日をがんばろうと思っています。」わからないから、とりあえず生きてみる、今日をやってみる。79歳の人の言葉だけに説得力があります。
しあわせのパンから、毎日お腹がすくことの意味を教えられます。生きるためには、とりあえず食べなければなりません。おなかがすくから食べます。それがそのまま生きることにつながるのです。何気なく食べたものに、思わずおいしいと声を出してしまうことがあります。おいしいと感じたことで、生きていてよかったと思うわけです。食べることによって、心がふっと軽くなることもあります。
水縞くんが坂本さんと一緒にパンを作る場面で、「カンパニオ」という言葉を知っていますかと尋ねます。「カンパニオ」はラテン語で仲間という意味です。もともとの意味は「パンを分け合う人」です。
今日の箇所(ルカ24:28-32)で、イエスは食べることの大切さを弟子たちに示されました。弟子たちと一緒に歩いてきたイエスは、食事になってパンを割いて彼らに分けました。出来がいいとはいえない弟子たちでした。その彼らとパンを割いて一緒に食べることによって、「私はお前の仲間で、これからもお前と一緒にいる。だから安心して、きょう一日を生きなさい。」と励まして下さったのです。この出来事を体験した弟子たちは、おなかがすくたびにイエスの言葉を思い出すことになります。イエスはまさに人を生かすパンになったのです。
その励ましと守りは、おなかがすき、そして食べる、そして今を生きている、そういう私たちにも注がれているということです。とりあえず食べることから、とりあえずきょう一日やってみる。それを通して、私たちを生かしてくれる命のパンに出会うことができるのです。