お元気にお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
キリスト教の中心的な教えの一つに、「恵みによってのみ救われる」という教えがあります。この場合の「恵み」には、神の憐れみによる「一方的で無償の」という意味合いが含まれています。
一方的というのは、相手から見返りを求めない、あるいは、相手の条件に依存しないということです。救いが恵みであるという意味は、善いことをしたからその報いとして救いが与えられるのではない、ということです。考えてもみれば、自分で善いことができるのであれば、そもそも救いなど必要はありません。救いの代価を支払うことすらできないからこそ、無償で提供されるのです。
世の中、ただでもらえるものに大したものはありません。しかし救いの恵みはただでありながら、決して粗品ではありません。いえ、救いの恵みが無償であるのは、代わりに莫大な代価をキリストが支払ってくださっているからです。人間に対する神の憐れみがそれを実現してくださいました。
この恵みを受け取るために、着飾る必要も、出直す必要もありません。差し出されるままに受け取ることが期待されています。
今日の聖書の言葉「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」エフェソの信徒への手紙2章8節