いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
ある時、ファリサイ派と呼ばれる人たちがイエスに向かって「神の国はいつ来るのでしょうか。」と尋ねました。ユダヤの人たちは、旧約聖書に教えられて、この世界がもっと良いものになる、今は暴力や不正があって、弱い人たちが苦しんでいたとしても、そのような状態はやがて終わって、正義が実現して人々が平和に暮らせる時が来る、そのように信じていました。それが「神の国が来る」という意味です。しかし、イエスはこの人たちに対して「神の国は見える形では来ない。」(ルカ17:20)と言われたのでした。
私たちは、目に見えるもので、今がどのような時かを知ろうとします。たとえば人々の様子や、経済の状態を見て、今がいい時代か、悪い時代か、といったことを判断しようとします。そして、あまり思わしくないと感じれば、とても神の国どころではない、いやな世の中だ、と決めつけてしまうかもしれません。
しかしイエスは、そのようにして、あなたが自分の目で見て良い、悪いと言っているような、そのようなことで神の国が来ているかどうか、決めることはできない、というのです。むしろ神の国は、あなたたちが今こうして、神の国はいつ来るだろうと嘆いている、あなたたちの間にもう始まっている、というのです。
実際の所、イエスは弟子たちに「あなた方の父は喜んで神の国をくださる。」(同12:32)と言われました。イエスと向き合っている人がいる、イエスの言葉を聞く人がいる、その所にいつでも神の国は来ているのです。