いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
ある時イエスが弟子たちを教えて言われました。「神を理解しない人がいるのは仕方がない。しかし、もしあなたたちのせいでだれかが神を理解できないようになってしまうくらいなら、むしろあなたたちは死んだほうがいい。それから、誰かがあなたたちに悪いことをしたとして、その人が謝るならいつでも赦しなさい、1日7回でも赦しなさい。」(ルカ17:4参照)
これを聞いた弟子たちは、大変なことになったと思ったようです。そしてイエスに向かって言いました。「わたしどもの信仰を増してください」(同17:5)。
人の信仰の邪魔にならないことも、とても腹立たしいことをする人を何度でも赦すのも、簡単ではない、しかし、神が助けてくれれば、何とかなるかもしれない、どうか私の信仰心をもっと大きくしてください、というように考えるのは一見もっともなことの様に思えます。
しかし、イエスはこのように答えました。「あなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(同17:6)全く無茶なことを言っているようですが、これは、信仰の力を示す言葉です。本物の信仰とは、不可能を可能にする力がある、というのです。
そして、このような現実を作り替えていく信仰は、あなたたちの心が強められるということではなく、むしろ、たとえからし種ほどの小ささであっても神から与えられるものではないか、とイエスは言われたのです。