いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今週は、新約聖書に記されている愛についての個所をみています。
神は私たちに、神と人を愛して生きていくことを求めておられます。そして、私たちは、イエス・キリストを通して示された神の愛を知ることで、神と人を愛する生活を始めることができます。
ところで、「愛とは何か」について、パウロは、コリントの信徒への手紙一 13章4節から7節で、こう語っています。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
私たちは、この愛についての説明から、愛とはそもそも何なのかを学ぶことができます。愛とは、自己犠牲的な心、謙遜な思いで人に仕えることです。パウロは、「山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」とまで言いました。どんなに立派な信仰を持っていようとも、愛の心がないならば、信仰はむなしいものになってしまいます。
私たちは、これらの愛の説明を聞くと、とても自分には「人を愛することはできない」と思うかもしれません。しかし私たちは、この自己犠牲的な愛を、実はイエス・キリストを通してすでに与えられています。ですから、ぜひイエス・キリストを通して示された神の愛を深く知ってほしいと思います。