いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
私たちは、親切のつもりで人に忠告をすることがあります。しかし、キリストはそれについて、「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」(マタイ7:3)と言います。
私たちが人を見た時に気づくその人の欠点とは、「おが屑」程度のものなのです。それに対して、私たちの欠点は「丸太」なのです。しかし、いつもいつも、人間の目で見て、相手の欠点よりも自分の欠点の方が大きいということがあるでしょうか。ここでキリストが言う丸太とは、神の目から見た私たちの罪のことです。キリストは、神に対する自分の罪を棚上げして、人を裁いてはいけない、と言っているのです。
罪とは神に背くことですが、私たちの罪は「丸太」と言われる通り、大きなものです。またそれが「丸太」と言われる通り、私たちには何も見えていないのです。私たちだけでなく、人の目の中にも「丸太」があるはずなのに、それも見えておらず、人の小さな欠点くらいしか見えないのです。
そのような大きな罪のために、神の子が私たちのために十字架にかかってくださったことに思いをいたしましょう。その時、キリストが言うように、私たちは人の「おが屑」を取り扱うことができるようにされるのでしょう。キリストが私たちにしてくださったように、それを私たちが背負うことによって。