いかがお過ごしですか。埼玉県の羽生市にある羽生栄光教会の村田寿和です。
私たちはいろいろな制約の中で生活しています。その一つがお金ではないかと思います。旅行に行きたくても、お金がなければ行くことはできません。ご飯を食べに行きたくても、お金がなければ行くことはできません。お金は、私たちの生活を左右する大きな条件です。
しかし聖書には、興味深い言葉が記されています。それは、コリントの信徒への手紙二の6章10節の御言葉です。「悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」
この御言葉は、イエス・キリストの使徒パウロが記した御言葉です。パウロは、キリスト者は「悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有している」と言います。なぜパウロは、キリスト者は、何も持っていないようで、すべてのものを所有していると言うことができたのでしょうか。
それは、キリスト者がすべてのものを所有している神様との交わりに生きているからです。キリスト者が天の国を、義の宿る新しい天と新しい地を受け継ぐからです。お金がなければ外国にも行けませんが、イエス・キリストを信じる人は、必ず天の国に行くことができます。イエス・キリストを信じる人は、イエス・キリストと共に、新しい天と新しい地を受け継ぐことになるのです。