いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
神様はわたしたちの近くにおられて、わたしたちを励まし、慰めてくださいます。新約聖書で慰めと訳されている言葉は、励ますという意味もあります。
しかし、わたしたちは小さな子どもではありませんから、苦しくても辛くても泣きだす訳にも行きません。思い悩みも人に言えませんし、言わないことが多いと思います。苦しいとか、辛いと言うと負けではないかと思うからです。ですから、じっと我慢して忍耐しますけれども、やがて息苦しくなってきます。一人で思い悩み、息詰まるような状況になることもあるかもしれません。
旧約聖書で預言者イザヤは、神は「わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの」(イザヤ51:12)と語りかけています。ここで慰めると訳された言葉は、もともとは深く息をする、大きく息をするという意味があるそうです。身体を伸ばして両手を広げてゆっくり大きく息を吸い込みます。深く、広く、空を見上げて深く息をするとわたしたちは落ち着きを取り戻します。
神様の慰めは、心身ともなる慰めです。わたしたちの思い悩みは、人間関係に関わることが多いかも知れません。「なぜ、あなたは恐れるのか。死ぬべき人、草にも等しい人の子を。」(同上)と預言者イザヤは続けて語りました。わたしたちが神様を見失うと、様々なものを恐れてしまいます。ですから、わたしたちには神の励ましと慰めが必要です。わたしたちは神様だけを畏れていればよいのです。神様だけが、わたしたちを支え慰めてくださるからです。