いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週はイエス・キリストの山上の説教を学んでいます。有名ですがキリストの言葉だということを忘れると誤解します。
今日の箇所は、この説教の頂点と言われる教えです。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にしなさい。」マタイによる福音書7章12節。これは黄金律、「黄金のように尊い戒め」と呼ばれます。
私たちはふつう人にしてもらいたいことを人に求めます。そうではなく、人にせよと言われる時、エゴイズムが否定されます。この世で最も尊いと言われる愛でさえ、人は愛されたいので相手に愛を求めます。愛されたいと思うなら、人は皆そう願うはずですが、それならまずあなたが隣人を愛しなさい、と言い換えるなら、これは自己愛の否定です。私たちにとって価値あるものを常に、まず人に与えることができるでしょうか。
人が言えば実行不可能な道徳の教えです。聖なる神の言葉として読む時には、ただ絶望に追いやられます。しかし、キリストの言葉として読む時、意味は一変します。キリストは私たちを愛して、十字架の死によって人の自己愛の清算をされた救い主です。キリストを信頼してこの言葉を読む時、隣人への愛が心に生まれます。
最後に一言。「人にしてもらいたいこと」はどんなことでもいいのでしょうか?-そうです、どんなことがあってもこの戒めは有効なのです!試してください。まさにこれは神の知恵者の言葉です。