いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は、イエス・キリストの「山上の説教」を学びます。とても有名ですが、同時にその意味がよく誤解されます。その典型が、これは実行不可能な厳しい道徳的教えだというものです。例えば「兄弟に愚か者と言う者は地獄に投げ込まれる。」マタイによる福音書5章22節を読んで、多くの人がそう解します。
しかしこれは「語られたのはイエス」ということを忘れた誤解です。同じ言葉なら誰が言おうと内実は同じ、ではないのです。
こんな経験がおありでしょう。一緒に遊んでいて、弟が大切にしていたおもちゃを誤って壊してしまった。弟は泣き叫びます。「こんなものぐらいで…」と思う。そのうち腹を立てて「うるさい!」と言って弟の頭をポカリとたたく。余計泣き叫んで、「お兄ちゃんなんか死んじゃえ!死刑にしてやる!」と言う。「わかった、わかった。ごめん、ごめん」と言ってその場を去って、大抵これでおしまいです。
しかし、皆さんがもし、法廷で裁判官から「誰々、死刑の判決を下す。」と言われたら!「わかった、わかった。ごめん、ごめん。」では済まないでしょう。「お前を死刑にする」という同じ言葉でも、それを誰が言うかによって内実が異なる、ということです。
この事は聖書を読む時、特に大切です。山上の説教を語られたのはイエス・キリストです。