ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井良一です。
あるとき、イエスと弟子たちが道を歩いていると、そこで生まれつき目の見えない人が物乞いをしているところに出会いました。その人を見た弟子たちはイエスに尋ねました。「この人の目が見えないのは、本人のせいですか。それともこの人の両親のせいですか。」
弟子たちは目の見えない人を見て「何て可哀そうな人なのだろう。この人の人生は呪われている。」と思ったのです。だから彼らはこの問題を引き起こした責任者は誰かと考えました。するとイエスはこの弟子たちの質問に「この人の目が生まれつき見えないのは、神さまの素晴らしい御業がこの人の人生に現れるためだ。」と答えられたのです。
このイエスの答えの特徴は「この人の人生の責任者は神さまだ」と教えているところにあります。私たちは何か人生に不都合なことが起こると、その責任を誰か他人や環境のせいにしてしまうようです。しかし、私たちの人生の責任を本当に引き受けることのできる方は、神さま以外にはおられません。他人や環境には、私たちの人生の問題を本当に解決する力はないのです。しかし神さまだけは、私たちの人生を引き受けて、素晴らしい祝福に導いてくださる力を持っておられる方なのです。
聖書の言葉「イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」ヨハネによる福音書9章3節