おはようございます。田無教会牧師の中山仰です。
イエス・キリストは弟子たちの性格をよくご存じで、とてもうまいあだ名、ニックネームをつけます。シモンは情熱家で信念を曲げないのでペトロ『岩』と、またヤコブとヨハネの兄弟は短気で火の玉のような激しい性格であったようでボアネルゲス『雷の子』、徴税人レビはマタイ『主の賜物』と名付けられています。
これらのように主と弟子たちとは寝食を共にした実に親しい間柄でした。主イエスが弟子を集めるときに、父なる神に祈りに祈って選んでいます。ところが、イエスさまの選んだ一人は、主イエスを裏切るイスカリオテのユダが入り込んでいました。ユダの行為は絶対に美化されるものではありません。しかし父なる神の御旨には、そのように一番近い者が裏切るという大きな苦しみも含まれていました。情熱のあるペトロや他の弟子たちも結局は最後のところで裏切って逃げてしまいました。彼らのその罪を覆うためにも、主は十字架で死ななければなりませんでした。
イエスさまが復活された後に弟子たちの前に現れて、自分の羊を飼いなさいと伝道命令を与えました。これは赦しを超越した恵みの行為です。私たちの恐ろしい罪によっても、主は心から悔い改めて従う者を、裏切りを超えて赦してくださいます。反対に神の前に来ようとせず、聞こうとしないイスカリオテのユダの場合、自分に絶望するしかありませんでした。
私たちのすべてをご存知の主は、私たちの癖や悪習慣をも超えて赦してくださるお方です。私たちのすべての罪を背負って十字架にかかってくださったのですから。ここに真の愛があります。きょうこのお方は私たち一人ひとりの名前を呼んでくださいます。