お早うございます。自然を美しくして下さる神が、私たちの心も美しくして下さいます。仙台教会の元牧師の首藤です。
「十字架の言葉」を多角的に考えて来ました。実に多くて深い、神の恵みと導きが込められていたと知りました。この十字架の言葉によって変えられ、新しく造られた私たちは、どう生きれば良いのでしょうか。
こんな例えは失礼かもしれませんが、子どもがお父さんから欲しいものをもらったら「ありがとう」で済みますが、青年ともなれば「ありがとう」だけでなく、今度は自分が父に、喜ばれることをしようと考えるでしょう。
そうです。私たちもイエス・キリストに、そして父なる神に喜ばれる生き方をすべきです。パウロは、コリント教会にこう語ります。「神はわたしたちをいつも、キリストの勝利の行進に連ならせて下さっている。」(2コリント2:14参照)と。
感謝と喜びと希望の生き方ですね。だから「罪深い私」だったのに、今やキリストを信じる者とされて「キリストを知る知識の香りを漂わせる者」となっています。