お早うございます。8月も半ばとなると少しはしのぎやすくなるでしょう。仙台教会の元牧師の首藤です。
聖書に出てくるアテネは、ギリシャ時代の首都で宗教、文学、哲学、美術にも進んでいて、ある人々は知識人であることを誇りにしていました。コリントの町の人々も、アテネの人々をまねた考え方を大切にしていました。だからコリントの人々にパウロは、この世の知恵でなく、自分の知恵でもなく、神の知恵に聞き従うようにと、語りかけました。
私たちには、この世の知恵、学力、地位、家柄を尊いものと思い、それを誇り、手に入れたいと考えますが、パウロは「私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたキリストこそ誇れ」と語ります(1コリント1:30‐31参照)。私たちにとって、神の力であり、神の知恵であるキリストは、あの苦悩と見せしめの十字架で、私たちの罪を贖うためにご自身を捧げた唯一の救い主です。
この御言葉に命を捧げましょう。