おはようございます。爽やかにお目覚めですか?日曜日の朝のひととき、今朝もご一緒にお過ごしください。キリストへの時間です。
今朝はスタジオにラジオ牧師山下正雄さんと一緒です。この一年番組を聴いてくださって、本当にありがとうございます。今年最後のキリストへの時間は、坂本龍馬で湧いた一年を振り返って番組をお届けします。
※《佐》:佐藤省三さん、《山》:山下正雄(ラジオ牧師)、《な》:熊田なみ子(スタッフ)
《な》 先生、今年は桂浜も賑わったでしょうね
《山》 そうですね。坂本龍馬ブームということで、いろんな人たちが観光に押しかけたんじゃないかと思いますね。
《な》 今日はスタジオにガイドブックも持って来ました。
《山》 はいそうですね。高知に始めて飛行機で降り立った人は、高地龍馬空港…。人の名前がついている空港は日本ではここ唯一つだけなのだそうですね。
《な》 空港のところにも龍馬の桂浜の銅像が建っていますしね
《な》 それでは今朝はまず、安芸市の佐藤省三さんを、先生と一緒にお訪ねしてインタビューしましたおはようインタビュー、まず聴きましょう
《な》 今朝のキリストへの時間、おはようインタビューは安芸市に参りました。今朝は佐藤さんのお宅に伺っています。
《な》 どうもはじめまして、おはようございます。
《佐》 おはようございます。
《な》 佐藤省三さんは安芸市の生まれで、中学校の先生をしていらしたんですか。
《佐》 はいそうです。
《な》 お宅に伺わさせていただきまして、今日は貴重なお話を伺えるということで、喜んでおります。
《な》 ご本も沢山お書きになっておられます。
《佐》 いや、沢山じゃありません(笑)。
《な》 今、番組をお聞きの方もお読み頂いたかもしれませんが、土佐日記の事などでも色々お調べになったりしていらっしゃいます。おうちの中に資料も沢山置いていらっしゃるようですね。『「土佐日記」を推理する』という先生のご本がここにありますね。ありがとうございます。
《な》 今年は大河ドラマで坂本龍馬のことが大変ブームになっておりまして、貴重なお話を伺えるという事でお伺いしました。佐藤家と龍馬の関係があるという事なのですが、どんな事ですか
《佐》 これはまだあまり人には言ったことがないので、知らない人も多いと思いますがね、接点が2つあるんですよ。
一つは、私の曾祖父の半衛門という人が、坂本龍馬の本家の才谷屋に奉公しておった訳です。
それから、もう一つは、私の母。実は高知県の生まれではなく、福井県の生まれなんですが。それが北海道へ移民して行って、浦臼で坂本龍馬の甥のちょっかん(直寛)に会おてる訳ですね
《な》 実際にお会いしてる…そうですか。坂本なおひろ(直寛)…
《佐》 えぇ。まぁだいたい音読みをすると偉そうに見えるので、皆ちょっかん(直寛)とか言うんです。
それから兄の直というのも、本当は「なお」と読むんでしょうけど、皆「ちょく」という風に音読みをするんですね。
《な》 そうですか、そのふたつの繋がりがあるという事で、曽祖父という事ですから随分時間が遡りますけれども。
《佐》 随分遡るようですけど、それほど大昔じゃないですよね。
私の祖父の父親ですので、私の祖父は昭和18年に亡くなっていますんでね。今のように長生きしておったら私も子どもの時会おていたかもしれませんね。
《な》 何かその当時のエピソードはありますか?
《佐》 子どもの時に歴史なんかに興味を持っておったら、坂本龍馬について、私の祖父が父親の半衛門から色々聴いた事があったと思うので、(祖父に)聞いておくんじゃったんですけどね。その時分の坂本龍馬と言ったら、ただの剣豪という感じで子供の時のちゃんばらの材料になった位のもんで…
《な》 そうですね。桂浜の銅像がこんなに有名になるとはねその頃は…
《な》 (半衛門さんは)実際にそこで龍馬にお会いして色々なさっていたんですね。
《佐》 生まれた年は大体わかっていますがね、龍馬より五つ年上じゃったようです。昔の事ですから、奉公するのはだいたい12〜13歳なんですよね。だからその時分は坂本龍馬はだいたい7〜8歳で、いわゆる「夜ばれたれ」(寝小便たれ)の時分なんですよ。その時分からずっと、−(龍馬は江戸の)千葉道場へ行ったり帰ったりするわけですが−(半衛門は)才谷屋の本家におったわけですね。才谷屋の本家と分家の龍馬の家は300メートル位しか離れていないので、度々行き来しておったんですね。
それから、公式の記録には無いと思いますがね、(龍馬が江戸の)千葉道場に行くとき、本家の才谷屋の前に店員なんかがずらっと並んで見送ったそうです。本家の方も一応、分家のお江戸行きですから。
《な》 そうですか。今年はみんな龍馬の観光で高知にいらっしゃっているんですが、歴史のある時期に佐藤さんのかかわりのある方と龍馬が出会っていたという非常に心に残る貴重なお話ですね