※《佐》:佐藤省三さん、《山》:山下正雄(ラジオ牧師)、《な》:熊田なみ子(スタッフ)
《な》 先生、佐藤省三さんのいろいろなお話を伺ったんですが…
《山》 興味深い話ですね。
《な》 そうですねぇ。
《山》 自分の曾おじいさんが、坂本龍馬の本家に奉公していたというお話ですね。
《な》 先生と一緒にこの日もお宅でいろいろ伺ってきましたけど、先生も龍馬のドラマを…
《山》 えぇ、ドラマを観たというだけじゃなくて、司馬遼太郎の小説(『竜馬がゆく』)もこの際改めて最初から読みました。
《な》 いかがでしたか。
《山》 改めて龍馬像を認識しなおしました。
《な》 いろいろとお話しすると長くなってしまうかと思いますけど、何かポイントを1つ言うと…
《山》 そうですね。坂本龍馬という人は、何しろこれからの日本をどうすべきかという、設計図みたいなものをちゃんと持っていた。他の藩の人たちは、長州にしても薩摩にしても、幕府を倒すことに主眼がありましたけど、その後どうするのかというのがあまりなかったと言われているんです。坂本龍馬は「船中八策」の中で8つの要綱をまとめて、どうあるべきかという姿をちゃんと示すことができた、という点ですごい人だったんだなあ、ということを思いますね。
《な》 では、ちょっと佐藤さんのお話、続きも聴いてみようと思います。
《な》 山下先生、坂本龍馬とキリスト教とのつながり、いろいろあったんですね。《佐》 わたしの母が北海道で龍馬の甥の直寛に会うたという話なんですよ。直寛というのは、坂本龍馬の一番上の姉に千鶴というのがおったんですね。これは龍馬の方がずっと下ですし、千鶴はずいぶん早く生まれているようで、歳が17,8歳ぐらい違うんです。だから、母親ぐらいの年齢なんですね。龍馬の母親は龍馬が11歳のとき、子供の時に亡くなっていますんでね。たぶん、母の面影を求めて姉のところへときどき遊びに行ったようです。
《な》 そうですか。
《佐》 千鶴が嫁入りしたのは、ここのちょうど東隣の安田町ですね。安田の高松という医者をやっておった、高松順三という人なんですが、これがただの医者じゃなくて、学者であり、また剣豪でもあり、それから、キリスト教と係わりがありますがね、漢文の聖書を持っておったそうですよ。
《な》 そうですか。
《佐》 その当時はヨーロッパからはちょっと聖書は入りにくい事情があったわけですんでね。漢文の聖書は正式じゃなくて、まぁ、抜けで手に入れることができたようですね。