10月26日(日) ルカ18章9-14節
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ルカによる福音書18章14節
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった」(10節)。ファリサイ派とは、律法の戒めに忠実に生きようと努めていた人たちで、正しい者と見なされていました。徴税人とは、支配者であるローマ帝国のために同胞から税金を徴収しつつ私腹を肥やしていた人たちで、罪人の代表と見なされていました。
ファリサイ派の人は祈りの中で、自分の信仰とその実践を誇り、神に感謝しました。徴税人は「神様、罪人のわたしを憐れんでください」(13節)とだけ祈りました。これについて、主イエスは、義とされたのは徴税人であるとし、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と結論しました。
ただ、ファリサイ派の人には高ぶっているつもりもなかったでしょうし、徴税人にもへりくだっているつもりもなかったでしょう。
ファリサイ派の人は、「心の中で」祈ったのですが、この言葉は原文では、「自分自身に向けて」です。神に心を向けていたのではないのです。だからその祈りは、自分と人を比較して、自分を誇るものとなります。徴税人は、人は見ずに神のみを見つめていました。だからその祈りは、罪の赦しを求めるものとなります。それが御心に適ったのです。
【祈り】
私たちが神にのみ心を向けることができるようにならせてください。









