
牧野信成(長野まきば教会牧師)
メッセージ:聖書とキリスト~イザヤの預言
「わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」イザヤ書55章11節
おはようございます。長野まきば教会の牧野信成です。
旧約聖書でいう「言葉」は、「ダバル」といいますが、「ダバル」は、言葉であると同時に、事柄・出来事を意味します。神はご自身の言葉によって宇宙のすべてを創造なさったことは、創世記1章が告げている通り、神がお語りになった言葉は、事柄としてこの世に実現します。
そうした言葉による神の創造の力が、預言者イザヤによって改めて告げられているのが、イザヤ書55章の御言葉です。ここで神の言葉は、「わたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす」と言われていますから、言葉は神の使いである、とわかります。神のもとから送られて来た言葉が、神の御旨をこの世界に成就する、との宣言です。
この御言葉を背景にして、御子イエス・キリストが世に送られます。そして、小さくされた者たちと共に過ごし、十字架と復活の御業によって、神の御旨を完全に果たし終えて、神の救いを世にもたらしたのでした。
ヨハネによる福音書は、その冒頭で、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1:1)とイエス・キリストのことを証ししています。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14)この証言に立って、キリストの教会は、今も、神の言葉であるイエス・キリストを世に語り伝えます。









