10月10日(金) コヘレト3章
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』コヘレトの言葉3章11節
日本のポップ・ミュージックの歌詞に、「永遠などない」というフレーズが出てくることがあります。「永遠」などという夢想じみた不確かな言葉に踊らされないで、確かな現実を見つめたいとの気持ちでしょう。しかしコヘレトは、神が「永遠を思う心を人に与え」たと言います。それは死に定められた人間には手に入らないのですが、それを思う人の心は本来のものだと言うのです。その「永遠」とは、この地上にあるものではなくて神の領域です。地上のすべての事柄には神が定めた時があります。
すべての命には終わりがあることをコヘレトは賢く見ています。その点では人間にも動物にも違いはありません。「自分も動物にすぎない」とコヘレトははっきり言います(18節)。その上で、その命の限界を越える科学が必要と現代人は考えるかもしれません。自分のすべてのデータをデジタル化してどこかに保存すれば、自分自身は肉体を越えて存続できるのかもしれません。永遠を思う人の心は止むことがないのです。
神がお許しになるなら何事も可能でしょう。しかし、今を生きることの恵みと喜びを捨てて、永遠を手にしようとする人の試みは、やはり「空しい」のではないでしょうか。それを手にする時は、キリストの復活によって定められています。
【祈り】
永遠を思う人の心に主イエスの復活を示してくださり感謝します。