8月22日(金) ローマ4章
イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ローマの信徒への手紙4章25節
4章でパウロは、アブラハムの信仰について述べています。アブラハムが信仰によって義とされたように、私たちも彼と同じように信仰によって義とされます。旧約時代も、新約時代も、人間が救われる方法は基本的に同じです。
パウロは5節で、神は、不信心な者を義とされる方だと語ります。不信心な者、すなわち、信仰があるとは言えないような者を神は義とされます。アブラハムもその一人です。彼は立派な信仰があったから義とされたのではありません。信仰に価値があったのではありません。義とされたのは神の恵み以外の何ものでもありません。人間の側の価値に基づくものではありません。
アブラハムの信仰と義認の性格は、そのままキリスト者にも当てはまります。唯一つ違うとすれば、アブラハムが神の約束の言葉にのみ基礎を置いて信じたのに対して、キリスト者はキリストにおいて現実となった出来事に集中することです。キリスト者が信じている中心点はキリストの十字架と復活です。パウロは24節で、「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます」と記しています。復活信仰こそが、キリスト教信仰の心臓部なのです。
【祈り】
主よ、あなたが、私たちが義とされるために復活されたことに感謝いたします。