7月30日(水) エゼキエル16章
「わたしがお前と契約を立てるとき、お前はわたしが主であることを知るようになる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書16章62節
この16章では、長いたとえが語られています。生まれてすぐに捨てられた女児を引き取って育てることと、育った子が姦淫に身をゆだねてしまうことのたとえによって、主なる神とユダ王国との関係が歴史的に語られています。このたとえは、エルサレムにその忌まわしいことを知らせるためのものです(2節)。姦淫は偶像礼拝のたとえです。偶像礼拝により主とその恵みを忘れた結果、主との関係は崩れ、イスラエルは外国との同盟関係に依存するようになりました。主との関係の破れが信仰の面だけではなく、政治や経済といった面でも具体的に現れてきました。
さらに、イスラエルよりも先に主の裁きにあったサマリアとソドムがイスラエルの姉と妹と呼ばれています。イスラエルの民は、サマリアやソドムを罪の町として嫌っていました。しかし、自分たちがそのサマリアやソドム以上に過ちを犯したと語られています。
主との関係が崩れれば、個人としても国としても破綻してしまいます。しかし、それでもなお、主はご自身が結んだ契約を思い起こし、回復を約束してくださいます。そして、そのことにより、「わたしが主であることを知る」のであり、私たちは主の赦しのゆえに恥じ入るのです。
【祈り】
主よ、どうか私たちがあなたとの平和な関係を保ち続けることができますように。アーメン