7月23日(水) エゼキエル11章
「主なる神はこう言われる。『わたしはお前たちを諸国の民の間から集め、散らされていた諸国から呼び集め、イスラエルの土地を与える。』」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書11章17節
8章から続く幻の最後の場面で、エゼキエルは東の門に連れて行かれます。そこは会議や公の集いが開かれる広場で、そこで二十五人の人びとが会議を開いているのを見ます。彼らは、エゼキエルが連れて行かれた第一回バビロン捕囚の際、エルサレムに残った政治的指導者たちでした。エゼキエルは、彼らこそエルサレムを再興する「残りの者」として期待していました。しかし、その期待は無残に打ち砕かれます。
彼らは、自分たちこそが「鍋」であるエルサレムに意味を与える「肉」であると傲慢になっていました。そして、暴力と強権で、主の町エルサレムにふさわしい善良な指導者や民衆を抹殺し、異教の習わしを積極的に取り入れた法を次々に定めました。そこで主なる神は、彼らの罪を断罪し、彼らを異国人に引き渡して撃つと宣言されます。そして、その証として、指導者ペラトヤをその場で打たれたのでした。その上で主は、彼らではなく、捕囚の地で主の裁きに服している民こそが主の憐れみを受ける者たちであり、彼らにこそ希望があると伝えられたのです。
実際、エゼキエルに主が現れてくださったのは、主が捕囚の民と共におられることを、彼を通して伝えさせるためだったのです。
【祈り】
主よ、あなたの憐れみは深く、小さくされた者にこそ希望を与えてくださることに感謝します。