リジョイス聖書日課

エゼキエル10章 人に示された主の栄光の姿

放送日
2025年7月22日(火)
お話し
草野誠(湖北台教会牧師)

7月22日(火) エゼキエル10章

これがケバル川の河畔で、わたしがイスラエルの神のもとにいるのを見たあの生き物である。わたしは、それがケルビムであることを知った。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書10章20節

 本日の箇所もエルサレムに対する罪と裁きの幻の続きですが、ケルビムについての描写が記されています。

 ケルビムは、エデンの園の東に置かれ、命の木への道を守る存在として創世記に出てきます。また、十戒を入れた契約の箱の蓋の両端に付けられ、その間の贖いの座と呼ばれる所から主なる神がモーセに言葉を語られました。さらに、幕屋の垂れ幕や神殿の内陣に意匠されており、高さ十アンマの大きな像も神殿に据えられていました(王上6章23節)。このように、神殿との関わりが深く、エゼキエルにとっても神殿を守る天上の存在として認識していたケルビムが、今、目の前で動き、翼を広げた音が耳に聞こえ、主の栄光がその生き物から立ち上がっているのですから、言いようのない光景で、さぞ驚いたでしょう。そして主なる神がケルビムの頭上にあって、車に据え付けられた王座から彼に語ってくださるのです。

 なぜこれほどまでの具体的なお姿を、主はエゼキエルに示されたのでしょうか。それは、主がエルサレムを去られることを、エゼキエルにはっきりと伝えるためです。そして、エルサレムから失われた神の王座が捕囚の民と共にあることを、預言者が語る御言葉を通して伝えるためなのです。

 【祈り】

 主よ、あなたの王座は場所ではなく、神の言葉を告げる私たち教会の上にあることを感謝します。