6月18日(水) 士師20章
イスラエルの人々は皆、…主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』士師記20章26節
側女をベニヤミン族に殺されたレビ人は、自分たちが一方的にやられたとうそをつき(5節)、イスラエルをベニヤミン族との全面戦争に突き進ませ、何万人もの犠牲者が出てしまった。それがこの章のあらすじです。この章から信仰的に得ることなどあるのかとすら思えます。
ただ途中には、イスラエルが主の前で悔い改めの儀式を行ったとあります。自分たちがベニヤミン族より優位に立ち、楽々勝利できると過信したために敗れてしまったと、イスラエルは悔いたのです。続く神への問いかけで、過去二回(18、23節)と異なり、戦いを「控えるべきでしょうか」との言葉が加わった(28節)ところに、彼らが打ち砕かれ、自らへの過信を捨てたことが現れています。
その後も戦闘が続いてしまったことには、今日の私たちは複雑な思いにならざるを得ません。しかし、自分こそ正しい、力があると過信するばかりだったところから、主を認め、悔い改めるよう変わること自体は、人間の努力では起こらないこと、主が与えてくださることです。どれほど世界が荒れ果てようと、「石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタ3章9節)主は働いてくださる、そのような希望が私たちにも示されるのです。
【祈り】
主よ、荒れ果てたこの世を憐れみ、すべての人びとに命の主への悔い改めを起こしてくださいますように。