牧野信成(長野まきば教会)
メッセージ:続・旧約聖書の女性たち サムエルの母ハンナ
おはようございます。長野まきば教会の牧野信成です。
今日は、預言者サムエルの母「ハンナ」について話しましょう。
シロの聖所で毎年行われる礼拝において、ハンナの苦しみは極まりました。当時の礼拝は、神殿の祭司に犠牲の動物を渡し、残りのものを家族でいただく、食卓を囲む儀式です。子どもの分まで受け取るペニナは、夫の愛情がハンナに傾いていることへの嫉妬も手伝ってか、自分の取り分しかもらえないハンナに、嫌味の一つでも言ったのでしょう。
夫は、泣いて食事もしないハンナを慰めようと、精一杯の愛情を表します。けれども、夫の慰めもむなしく、ハンナの苦しみは解消されませんでした。その苦しみを取り去ることができるのは、彼女の胎を閉ざしておられる神より他になかったからです。それでハンナは、自分の苦しみを神の御前にもってゆきます(サムエル上1:1-11参照)。
「苦しいときの神頼み」は、ある意味で、祈りの本質をついています。苦しいときにしか神に頼まないのであれば、不信仰でしょうけれども、苦しいときにこそ、ハンナのように、神にすべてをぶちまけることが許されている、というのが、祈りの恵みです。
ハンナのような状況で、「主の御前」という逃れ場がなかったとしたら、彼女は、その怒りや悔しさをどこへもっていったらよいのでしょうか。周囲に怒りをぶちまけて、自分をそんな運命に晒した神を呪って、自暴自棄になる他はないかもしれません。しかし、ハンナがそうならなかったのは、その激しい感情をも、あらいざらい神にささげたからです。
率直な思いをイエスにぶつけられるか。信仰の試金石かもしれません。存在を疑っているような神に訴えかけるのは、難しいでしょう。