2月24日(月) 申命記22章
同胞のろばまたは牛が道に倒れているのを見て、見ない振りをしてはならない。その人に力を貸して、必ず助け起こさねばならない。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記22章94節
主は、十戒の第二の板を通して、父母を敬え、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、隣人のものを欲してはならない、と教えています。そして、主がそれらの戒めを通して積極的に求めておられることは、隣人に対する愛です。それゆえ、同胞が苦しんでいるとき、それを見ても、見ない振りをして助けず、無関心であるならば、それもまた罪です。
あるドイツの哲学者が、アウシュヴィッツの悲劇を多くのドイツ人はうすうす気づいていながら、それでも結局、見ない振りをしたのだ、と語っています。私たちも同じです。隣人の痛みや、苦しみ、虐げを見ながらも、自分には関係ないと考え、見ない振りをしてしまうことがあります。私たちは自分の利益のため、自分を守るために、見て、見ない振りをしてしまう罪人です。
しかし、主は決して、私たちの痛みや苦しみを見て、見ない振りをなさる方ではありません。主は常に、私たちを見守り、御手を伸ばしてくださいます。主は御子イエス・キリストを遣わし、罪の中で、苦しみ、傷つき、倒れている私たちを、御手をもって助け起こし、主の家に連れ戻してくださいました。
【祈り】 どうか、見て、見ない振りをする者ではなく、隣人のために、勇気を出して愛する者とならせてください。