三川栄二(稲毛海岸教会牧師)
メッセージ: 「炉に投げ込まれる野の草」
いかがお過ごしですか。三川栄二です。
わたしは以前、北海道の釧路に住んでいました。静岡で生まれたわたしには、北海道の冬はとても寒く、長く感じられ、春の訪れが待ち遠しかったものです。しかし釧路の春はあるとき突然やってきます。花が咲いたかと思うと、一週間ほどであっという間にあちらこちらの花々が咲き乱れ、そのあと間もなく霧の季節に入ってしまうのです。
草は枯れ、花はしぼむという言葉があるように、草花の命は短く、はかないものではありますが、しかしその一瞬に命の輝きを宿らせてもいます。聖書には、この世の栄華を極めたソロモンという王が出てきますが、そのソロモンさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいないという言葉があります。
「野の花がどのように育つか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」。
ほんの一時、咲いて枯れる草花ですが、それでもその一瞬に命の輝きを見せてくれます。そしてそのように、働くことも、つむぐこともしない草花でさえ、きれいに装わせ、養い育ててくださる方がおられるのです。このように今日を生かしてくださる神に信頼して、一日を始めていきましょう。
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