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民数記5章
「神に近く仕える幸いを学びながら」


主はモーセに仰せになった。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
(民数記 5章11節~12節)

 主はまず、モーセに仰せになりました。民の生活のあらゆることについて、モーセを通して告げられました。それは、民自身が望んだことでもありました(出20章19節)。また、神を畏れて聞き、心を尽くして理解しながら従う律法の目的にふさわしいことでした。恐怖が先立つ服従は、求められていません。また、従えば万事がうまくいくかのような、都合の良い服従でもありません。

 告げられたことは、しばしば十分に理解も納得もできなかったかもしれません。しかし、神を畏れることを学びながら従い続けます。そのようにして神を知ることが、彼らの生活の喜びとなるなら、その服従に心が伴います。民の歩みが整えられ、互いの関係も整えられ、その中で神を畏れて生きることの幸いを味わい知っていくからです。神を喜ぶ知恵が、人の心に宿ります。「知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり…」(箴言2章10節)。

 荒れ野での日々は、神からすべてを受けて、神にすべての望みをかけて重ねる旅です。神のご存在がすべてであり、決定的です。しかし、神への恐怖ではなく、喜びへと至る畏れを学ぶために、モーセを通して仰せの数々を受けました。神の深い憐れみによって。

 

 【祈り】

 主よ、あなたの憐れみに満ちた御言葉をたたえます。

貫洞 賢次(札幌伝道所)

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