心動かされ、進んで心からする者は皆、…主への献納物を携えて来た。 (出エジプト 35章21節) 一度目の律法授与の時は最初から「幕屋建設の指示」がされていました(25章)。けれども、それが砕かれてしまった後、再授与される時には、35章4節以下の「幕屋建設の準備」という段階が加わり、幕屋のために「進んで心からする献げ物」がまず最初に求められます(5節)。「進んで心からする」という言葉が何度も繰り返されています(5、21、22、29節)。 再び御言葉が砕かれないために、下準備として求められているのは、毎日を「進んで心からする献げ物」として神に献げる心の態度です。毎日の生活を神への献げ物として生きる心がけこそ、私たちの人生全体を、今度こそ本当に神の幕屋とするための下準備なのです。 私たちが毎日の生活を「心動かされ、進んで心から」神への献げ物とする心の準備があるなら、私たちの一日一日やすべての労働は神の幕屋建設のために用いていただけます。私たちの献げ物やすべての労働が神の幕屋建設のために用いていただけるのは「心動かされ、進んで心からする」ときだけです。生活の中の小さな一つ一つのことでも「進んで心からするなら」、それらはすべて、神への献げ物となるでしょう。 【祈り】 主よ、きょうという日を進んで心からあなたへの献げ物とすることによって、きょう一日を輝かせてください。 赤石 純也(伊丹教会)
一度目の律法授与の時は最初から「幕屋建設の指示」がされていました(25章)。けれども、それが砕かれてしまった後、再授与される時には、35章4節以下の「幕屋建設の準備」という段階が加わり、幕屋のために「進んで心からする献げ物」がまず最初に求められます(5節)。「進んで心からする」という言葉が何度も繰り返されています(5、21、22、29節)。
再び御言葉が砕かれないために、下準備として求められているのは、毎日を「進んで心からする献げ物」として神に献げる心の態度です。毎日の生活を神への献げ物として生きる心がけこそ、私たちの人生全体を、今度こそ本当に神の幕屋とするための下準備なのです。
私たちが毎日の生活を「心動かされ、進んで心から」神への献げ物とする心の準備があるなら、私たちの一日一日やすべての労働は神の幕屋建設のために用いていただけます。私たちの献げ物やすべての労働が神の幕屋建設のために用いていただけるのは「心動かされ、進んで心からする」ときだけです。生活の中の小さな一つ一つのことでも「進んで心からするなら」、それらはすべて、神への献げ物となるでしょう。
【祈り】
主よ、きょうという日を進んで心からあなたへの献げ物とすることによって、きょう一日を輝かせてください。