世界のベストセラーの聖書。
とは言え、この聖書をどのように読めばよいのか。
そもそも聖書とはいったいどのような書物なのか。
とても短い、しかし、とても大切な答えを学びましょう。
私たちを滅びの底から救ってくださる方がおられる。それは主イエス・キリストというお方であると『信仰問答』は高らかに宣言しました。この方こそが、私たちの完全な救いのために「与えられているお方」なのでした(問18)。さて、そんなにすばらしい私たちの救いについて、どうすればもっと詳しくわかるのでしょう。「何によって知る」ことができるでしょうか。
“Jesus loves me, this I know. For the Bible tells me so”という昔から日曜学校などでよく歌われてきた讃美歌があります。日本では「主われを愛す」として広く知られています。この出だしを文字どおり訳すと「イエス様がわたしを愛しておられることを、わたしは知っています。聖書がわたしにそう告げているからです」となるでしょうか。
イエス様のすばらしい救いは聖書を読めばわかる。これが一番単純でわかりやすい答えでしょう。けれども、『信仰問答』は、もう一歩踏み込んで「聖なる福音によって」と答えます。「福音」によって。イエス様の愛を告げる飛び上るほど嬉しい知らせ、すなわち“ゴスペル”によってであると言うのです。
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およそすべての文書がそうであるように、聖書という書物もまた、読みようによってはいろいろな読み方ができてしまいます。有名な荒野で誘惑を受けたイエスの話では、悪魔でさえも「聖書」を引用しています(マタイ4:6)。聖書によらない異端もありません。ですから、ただ聖書を持っているというだけでは、実は何の保障にもなりません。問題は、聖書をどう読むかということなのです。
その意味で、この問19の答えは短いですが非常に大切です。聖書は「福音」として読まれなければならない。新約聖書には四つの「福音書」がありますが、それだけではない。聖書全体を、旧約聖書も新約聖書も、聖書丸ごとを「福音」として読まなければその心はわからないと喝破しているのです。
聖書はよく神からのラブレターと言われますが、全くその通りだと思います。私たちが勝手に考え出した文書ではありません。神が御自分の思い、私たちに対する愛を「自ら」伝えようとして生まれた書物です。ですから、(たとい途中にはいろいろ書かれていても)全体として神の愛が伝わらなくては、読み間違えてしまうことになります。
聖書の細部を読み解くことは、必ずしも容易ではありません。
けれども、大切なことは、この書物の心を読み取ることです。
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハネ5:39)とイエスはおっしゃいました。また、復活なさった時、「モーセとすべての預言書から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明」なさいました(ルカ24:27)。実に「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに」語られたのです(ヘブライ1:1-2)。
永遠の神の御子であられるイエスこそが、神の愛そのものです。それで、このイエスが現われなさった時、まるで磁石に引き寄せられるように聖書のすべてがイエスについて、あるいはイエスに向けて書かれていたことが明らかにされたのでした。
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聖なる福音は、人間が堕落したあの楽園においてすでに語られておりました。人間を誘惑して悲惨へと突き落とした“蛇=悪魔”を粉砕する者がやがて女の末から現れる(創世3:15とガラテヤ4:4を比較)。すべての人々に祝福をもたらす者がアブラハム・ダビデの子孫から生まれると、族長や預言者たちは宣べ伝え(創世22:18、サムエル下7:12以下とマタイ1:1を比較)、旧約聖書の数々の犠牲や儀式もまた十字架上でのイエスの犠牲を象徴的に指し示すものでした(コロサイ2:17、ヘブライ10:10)。
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聖書の細部を読み解くことは、必ずしも容易ではありません。けれども、大切なことは、この書物の心を読み取ることです。私たちを愛して止まない神様からのメッセージをしっかり受け止めることです。聖書66巻を初めから終わりまで流れる「福音」に心を合わせて読んでみましょう。
長い長い時間をかけ、ゆっくりと神は御心を表わされました。その神の「福音」の歴史の中に、私たちは今生きているのです!
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