川栄智章(せんげん台教会牧師)
メッセージ: キリスト教の祈りとは
いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会の川栄智章です。
どのような宗教においても「祈り」というものは、大切なものとして位置づけられています。それではキリスト教会の祈りと他の宗教の祈りとは、いったい何が違うのでしょうか。
マタイによる福音書6章に、イエス様は弟子たちに、祈る時はこう祈りなさいと手本を教えてくださいました。これを「主の祈り」と言います。その時に、間違った祈りについても教えてくださいました。マタイによる福音書6章7節、8節です。「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」
つまり、間違った祈りとは自分たちの願いをかなえてもらう一種のまじないのようであり、祈りが自分の目的のために神を利用する手段になっていると指摘します。クリスチャンの祈りとはこのような祈りとは正反対です。神様を父親として、そして天地の王としてお認めし、神様の御前に全てを放棄し、自分が持っていた主権を神様に明け渡し、御心に従順に従うための祈りです。それは、頭を垂れた悔い改めの祈りに等しいかもしれません。
神様の御前に無から始めようとする貧しい心から「主の祈り」が告白されます。この「主の祈り」は、現在でも教会の礼拝において捧げられています。