山下 正雄(ラジオ牧師)
メッセージ:人生を変える神の呼びかけ(出エジプト3:1-12)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
人生には、思いがけないところで大きく方向が変わることがあります。新しい仕事との出会い、人との出会い、ある一言との出会い。それまでとは違う道を歩み始めることがあります。
きょうの聖書に登場するモーセにも、そんな出来事が起こりました。ただ、それは王宮でも、華やかな舞台でもありませんでした。羊を飼っていた荒れ野での出来事でした。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 出エジプト記3章1節~12節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
モーセはもともとエジプトの王宮で育った人でした。しかし、イスラエルの同胞を助けようとしてエジプト人を殺し、ミディアンへ逃げてきました。そこで家庭を持ち、羊を飼う生活をしていました。かつて大きな使命を抱いていたモーセの人生は、静かな、目立たないものになっていたのです。
その日、モーセは羊の群れを荒れ野の奥へ追って行き、ホレブの山に来ました。そこで不思議な光景を目にします。柴が火に燃えているのに、燃え尽きないのです。
モーセは言いました。
「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。」
すると、そこから神の声が聞こえました。
「モーセよ、モーセよ。」
神は、モーセの名前を呼ばれました。そして、「あなたの立っている場所は聖なる土地だから」と告げられます。モーセは神を見ることを恐れて顔を覆いました。
ここで大切なのは、燃える柴という不思議な現象そのものではありません。その柴を通して、神がモーセに語りかけられたことです。
しかも神は、モーセにいきなり使命だけを与えたのではありません。まず、ご自分がどのようなお方であるかを示されました。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」です。かつて先祖たちに約束された神が、今も生きて働いておられるのです。
そして神は、エジプトで苦しんでいるイスラエルの民について語られました。
「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。」
これは、とても慰めに満ちた言葉です。
イスラエルの人々は、長い間、苦しみの中にいました。神は何もしてくださらないように見えたかもしれません。しかし神は、彼らの苦しみを見ておられました。叫び声を聞いておられました。そして、その痛みを知っておられました。
そして8節で、「それゆえ、わたしは降って行き」と言われます。神ご自身が救いのために働かれるのです。
ところが、その次に驚く言葉が続きます。
「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。」
神は、モーセを遣わされたのです。
モーセは当然のように答えます。
「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
これは、私たちにもよく分かる言葉ではないでしょうか。
「私には無理です。」
「私にそんなことができるでしょうか。」
「私は何者なのでしょう。」
神から何かを託されたとき、私たちは自分の弱さや過去の失敗を考えてしまいます。
しかし神の答えは、「あなたには十分な力がある」というものではありませんでした。
神はこう言われます。
「わたしは必ずあなたと共にいる。」
ここに、神の呼びかけの大切なところがあります。
神はモーセを、ひとりで遣わされたのではありません。モーセの力を頼りにして、「頑張って行きなさい」と言われたのでもありません。「わたしは必ずあなたと共にいる」と約束されたのです。
私たちも、人生の中で「私は何者なのだろう」と思うことがあります。年齢を重ね、自分にできることが少なくなったと感じることもあるでしょう。過去の失敗を思い出して、もう一度何かを始めることをためらうこともあるでしょう。
けれども、神が私たちに求めておられるのは、自分の力に自信を持つことではありません。
神が共にいてくださることを信頼して、一歩を踏み出すことです。
それは、大きなこととは限りません。家族のために一言声をかけることかもしれません。孤独を感じている人の話を聞くことかもしれません。きょう、自分に与えられている務めを誠実に果たすことかもしれません。
モーセの人生は、神に呼ばれたことで、決して楽になったわけではありません。むしろ、これから大きな困難が始まります。しかし、人生の向きが変わりました。
「私は何者でしょう」と問い続けていたモーセに、神は、「わたしは必ずあなたと共にいる」と語られました。
きょう、あなたの人生が行き詰まっているように感じられるでしょうか。あるいは、自分にはもうできることがないと思っているでしょうか。
どうか覚えていてください。神は、私たちの力だけを見ておられるのではありません。神ご自身が共にいてくださいます。
人生を変える神の呼びかけは、私たちを一人で送り出す呼びかけではありません。
「わたしは必ずあなたと共にいる。」
この神の約束を信頼して、きょうも神と共に、一歩を歩み出していきたいと願います。



