1月31日(土) 詩編112編
ハレルヤ。
いかに幸いなことか
主を畏れる人、
主の戒めを深く愛する人は。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』詩編 112編1節
この詩編は、主を畏れる人の幸いを語ります。箴言も、「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1章7節)と、主を畏れる大切さを語ります。
「主を畏れる」とは、どういうことでしょう。主なる神をただただ怖がることでしょうか。そうではなく、愛、憐れみ、公平、公正に満ち満ちておられる御方として、主を認め、あがめることです。いつもこの御方は、人の世のすべての動きも、人の心の思いも行いも一切をご覧になり、知り尽くしておられます。その事実にいつも思いを向けること。それが「主を畏れること」です。
主なる神は、貧しい人、弱い立場にある人、寄留者とこそ、共にいてくださいます。箴言にはこう記されています。「弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ」(14章31節)。「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる」(19章17節)。
同様にきょうの詩編も語ります。主を畏れる人は「憐れみ深く、貸し与える人」であり(5節)、「貧しい人々にはふるまい与え」る(9節)幸いな人であると。
主イエスもおっしゃいます。「憐れみ深い人々は、幸いである」(マタ5章7節)。主の心をわが心として、弱い立場の人と共に歩みたいものです。
【祈り】
主よ、あなたを畏れることを学ばせてください。そして、あなたの心をわが心として日々歩ませてください。








