
牧野信成(長野まきば教会牧師)
メッセージ:聖書とキリスト~聖書のキリスト証言
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」ヨハネによる福音書5章39節
おはようございます。長野まきば教会の牧野信成です。
今週は、「聖書とイエス・キリスト」の関係について、御言葉を辿りたいと願っていますが、皆さんは、どのように聖書の言葉を信じているのでしょうか。「誤りなき神の言葉」であるのは、ウェストミンスター信仰告白第1章にある通りですが、どのような意味で「誤りがない」と信じるのでしょうか。
旧約聖書の律法にこそ神の命がある、と信じた昔の人々は、それを自分で実行することで、律法の教えから右にも左にも逸れないように注意して生活するところで、永遠の命をいただくことができる、と考えた人がいました。
ところが、そう信じている人々のところにイエスが来てみると、律法から右にも左にも逸れないどころか、神の心を全く理解していない人々が、人の上に立って教えているような状況がそこにありました。
ルカによる福音書の中で、イエスは、「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。」(ルカ11:46)と厳しく批判しておられます。
私たちが聖書を通して神の心を知るためには、イエス・キリストに近づく必要があります。キリストを通して、神の言葉を受け入れることです。イエスは、神の言葉によって、罪人を交わりから締め出すために世に来られたのではなく、罪人を憐れんで、悔い改めを喜ぶことを世界に知らせるために世に来られた神の御言葉です。









