8月27日(水) ローマ7章
かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ローマの信徒への手紙7章15節
パウロはこの7章で、自らに内在する罪を嘆いています。15節で彼は言います。「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです」。
一言で言えば、自分の内側が分裂しているということです。望んでいることを実行しないで、憎んでいることをしてしまう。彼は律法の命じることを正しいと認め、律法の禁じることを憎んでいました。しかし、彼は、その行いにおいては律法と対立することをしてしまうのです。
これはパウロだけのことでありません。私たちもそうではないでしょうか。「あんなことしなければ良かった」「あんなこと言わなければ良かった」と思って後悔することがあるのではないでしょうか。自分でも嫌だと思うようなことをしてしまう。そういうことが自分を苦しめ、人を傷つけ、それによってさらに自分を苦しめるということがあるのではないでしょうか。パウロもまた、そういう自分に苦悩したのです。パウロは「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と嘆きました(24節)。しかし、嘆きで終わったのではありません。「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」と述べます(25節)。そのような惨めな私たちを救うのが、キリストの福音です。
【祈り】
主よ、本当に惨めなわたしを救ってくださる恵みに感謝いたします。