キリストへの時間

顔を出すだけでも

放送日
2025年9月28日(日)
お話し
藤井真(千里山教会牧師)

藤井真(千里山教会牧師)

メッセージ:顔を出すだけでも

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。千里山教会の牧師、藤井真です。

 私が大学生の頃から26年間通い続けているアパレルショップ、洋服屋さんがあります。私が普段身に着けているものは、ほとんどそこで購入したものばかりです。ただ最近は、直接お店に行く機会が減りました。

 ずいぶん前にインターネットショップができたというのも、その理由の一つかもしれません。ネットショップのほうが時間や交通費を節約することができますし、ずいぶん便利なのです。とは言っても、直接お店に行って、商品を見てみないと分からないこともありますし、ネットショップに欲しい商品が並ぶ前に、売れ切れてしまう可能性もあります。そういう時は、さすがにお店まで足を伸ばします。とは言っても、年に1回行くかどうかですが。

 年始に、久し振りにそのお店に行きました。あまりにも顔を出していなかったものですから、お店の人も、さすがに私のことを忘れているだろうと思っていました。今さら顔を合わすのも恥ずかしいと思って、親しくしていた店員の姿を見ても、見ぬ振りをして、お店の隅っこのほうを歩き回っていたのです。

 そうしたら、店員さんのほうから私を見つけ、近寄って来て、「藤井さん、久し振り!元気にしてた?」と明るく声をかけてくれました。そのお店は、決して小さなお店ではありません。結構大きなお店で、お客さんも多いのです。それなのに、よく私の顔と名前を覚えてくれていたなあと、感心しました。しかも、まったくと言っていいほど、お店に顔を出していない私のことを。

 その日、少しだけ買い物をして、帰り際に「今年はもう少しお店に来るようにします。」と、私はその店員さんに言いました。すると、「別に買い物をしなくてもいいから、近くに来たら、顔だけ出して。それだけでもいいから。」…そう言ってくれました。

 とても嬉しい言葉でした。もちろんお店にとっては、買い物をしてくれたほうが嬉しいに違いありません。でも、接客をするというのは、そういうことではないのだと思いました。大きな儲けにもならないような小さな者であったとしても、その人のことを喜んで受け入れること。顔と顔を合わせた直接的な出会いを喜ぶこと。そこに、大切な何かがあるのだと思いました。

 聖書の「ヨハネの黙示録」と呼ばれる箇所に、次のような言葉があります。「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」(黙示録22:17 )私たちの魂の渇きを癒すいのちの水をいただくために、つまり、神様が与えてくださる救いをいただくために、私たちは多額のお金を支払う必要はありません。立派な行いをする必要もないのです。「価なしに飲むがよい」というのです。

 イエス様の招きに答えて、そこに行けばいいだけなのです。顔を出すだけでいいのです。それだけで、イエス様は、私のことを誰よりも喜んでくださるのです。魂が飢え渇くことがあったとしても、その奥底から溢れ出るいのちの泉によって、なおいきいきと生きることができる。そのような豊かな恵みを、イエス様は、私たちに与えてくださるのです。それをただ私たちは、手を伸ばして受け取ればよいのです。

 イエス様は、「少しでもいいから顔を出して」と言って、いつも私たちを招いておられます。そこから始まる喜びの歩みがあります。どうぞ、この番組をこれからもお聞きください。神様の言葉を聴き続けてください。ひとこと、「神様」と祈ってみてください。そして、ぜひ、お近くの教会に行ってみてください。

 あなたと出会いたいと願っておられるイエス様が、私たちが望んでいる以上に素晴らしい恵みを用意して、待っていてくださいます。イエス様は、あなたのことを忘れてなどおられません。いつもあなたのことを心に留めておられます。あなたがイエス様のところに来ることを、待っておられるのです。

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