新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:信仰について~まずイエスが信用してくださる~
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一です。
今週は、キリスト教信仰について共に考えています。
ある時、イエスの許に、姦通の現行犯で捕まえられた女性が連行されてきました。イエスは「罪を犯したことがない者からこの女に石を投げなさい」というと、その場から誰もいなくなってしまいました。そしてイエスは、「もう罪を犯してはならない」とこの女性を赦し、解放して下さったのです(ヨハネ8:1-11参照)。
「もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8:11)…これには、驚きしかございません。イエスは、罪を犯さない彼女を知りません。姦通の現行犯、これが、この女性の全てだったからです。その女に、「もう罪を犯してはならない」とどうして言えましょうか。
しかし、これがイエスなのです。イエスは、罪人の友となるためにこの世に来られたからです。この女性を、イエスは友として信頼して、ここから遣わしておられるのです。「もう罪を犯してはならない」と遣わされて、この女性が罪を犯し続けるのなら、イエスは、彼女の友として、その責任を担うのです。
人間は、弱い者です。むしろ、罪ばかり犯してしまうのがこの女性であり、私たちです。イエスは、罪を犯さない私たちのことも知らないのです。
しかし、その罪を犯すことしかできない罪人を愛し、この愚かな私を信用し、「もう罪を犯してはならない」と毎週遣わしてくださるのが、私たちの友となってくださったイエス・キリストなのです。そして、その私たちの罪を全て担って、十字架で死んでくださったのが、イエスであります。私たちの信仰は、このイエス・キリストの憐れみにかかっているのです。