石川亮(芸陽教会牧師)
メッセージ:復活って、どういうこと?
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県安芸市本町2丁目森澤病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。
今週も、この放送をお聞きくださるあなたと共に、御言葉の恵みにあずかることができることを嬉しく思います。8月も最後の週になりましたので、私の担当は最後になります。ラジオをお聞きくださるあなたと共に、神様の恵みによって喜びと平安に満たされて、新しい月へと向かいたいと願います。
イエス・キリストを信じる人たちは、イエス・キリストが十字架の上で死に、墓に葬られ、三日目に復活されたことを信じています。イエスが復活されたことは、キリスト教の教えの中では、最も大切な教えである一方で、他方、イエスの復活について、どうしても信じることができないと言われる人がいます。
ある先輩の牧師から聞いたのですが、まだ洗礼を受けていない方から、「聖書の言葉はとても良いものです。神もいると思います。でも、私は、イエス・キリストが復活したことをどうしても理解できないんです。」と言われたことがあるそうです。
確かに、死んだ人が復活する、よみがえるということを、素直に信じることは難しいかもしれません。聖書には、祭司長たちと長老たちが、墓を見張っていた兵士に、「イエスの弟子が墓から死体を盗んでいった」と嘘をつくように言ったことが記されています。当時実際に、これが噂として広まっていたようです(マタイ28:12-15参照)。
イエスを信じない人が復活を信じない、というのは分かります。しかし、聖書を読みますと、イエスの弟子たちでさえ、イエスが復活されたことを信じられなかったことが記されています。弟子のペトロは、空になった墓を見て驚きますが、イエスが復活されたことを確信することはできませんでした(ルカ24:11-12参照)。
弟子たちの目の前にイエスが現われると、彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのかと思ってしまいます。復活を信じられず、恐れおののく弟子たちに、ご自身が生きていることを示すために、イエスは焼いた魚を食べられたことが、ルカ福音書に記されています(ルカ24:36-43参照)。
またヨハネ福音書では、イエスが弟子たちの前に現われた時に不在だった十二弟子の一人トマスが、「イエスの手の釘のあとを見て、自分の指を釘のあとに入れないと信じない。」と言います(ヨハネ20:24-25参照)。
八日後、自分の前に現われたイエスから、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)と言われ、彼は、イエスが復活されたことを信じたのです。
使徒パウロは、「復活したイエスが500人以上の兄弟たちに現われた」と言っています(1コリント15:6参照)。兄弟たちと限定しているので、おそらく、復活したイエスを見た人は、パウロが記した以上の人数と考えられます。そして、復活し、多くの人の前に現われたイエスは、弟子たちが見ている中で、天へ昇られたのです。
現代は、医療が発達しているゆえに、心肺停止をした人が蘇生することがあります。しかし、たとえ蘇生したとしても、人は、必ず死を迎える時がきます。イエスは、復活された後、天に昇られました。今は、天で生きておられ、救いの完成のために働かれ、イエスを信じる人を執りなすために祈ってくださっています。
確かに、イエスが復活したことを信じることができない人がいるかもしれません。しかし、イエスの復活は、神の御力によってなされたことです。時に、神の御力は、人間の想像や理解が及ばない、驚くべき出来事を起こされます。
イエス・キリストの復活は、神の御力によってなされた驚くべき奇跡の御業なのです。この神の御力と恵みが、ラジオをお聞きのあなたに注がれ、復活されたイエスへの信仰が与えられることを願っています。
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