石川亮(芸陽教会牧師)
メッセージ:メシアって、どんな方?
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県安芸市本町2丁目森澤病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。
今週もまた、この放送をお聞きくださるあなたと共に、御言葉の恵みにあずかることができることを嬉しく思います。
聖書には、「メシア」という言葉が出てきます。これは、「救い主」を意味します。メシアという言葉は、何も聖書だけに使われているわけではありません。様々なところで使われています。私は、洗礼を受ける前から、「メシア」、あるいは、「救世主」という言葉を知っていました。 私が「メシア」という言葉を初めて聞いたのは、小学生の時に読んでいた「ゆでたまご」さんが書かれている「キン肉マン」という漫画です。
この漫画の中で、正義超人ブロッケンジュニアと悪魔超人ミスターカーメンとの戦いや、漫画の主人公キン肉マンと悪魔超人アトランティスとの戦いで、絶体絶命のピンチの時に、突然、謎の超人が現れ、ブロッケンジュ二アとキン肉マンをピンチから救い出します。それを見たキン肉マンが、「メシアだ」と言います。私は、この漫画を読んで、メシアというのは、絶体絶命のピンチの時に突然現れて、自分を救ってくれたり、助けてくれたりするヒーローなんだ、と理解しました。
おそらく、「メシア」の一般的なイメージは、この時私が思ったことに近いのではないか、と思います。人は、自分がピンチの時、メシアが颯爽と現われて、自分をピンチから助けてくれることを期待します。ラジオをお聞きの皆さんの中には、実際に「自分の周りにいる人が助けてくれて、ピンチから脱することができた」という人がいると思います。そのような経験をされた人にとって、助けてくれた人が、メシアに、ヒーローに、見えたかもしれません。
しかし、聖書に記されているメシアは、私が漫画から与えられたイメージとはまったく違いました。聖書は、イエス・キリストこそメシアである、と述べています。イエスは、多くの人の病を癒し、悪霊を追い出されました。ここからは、人をピンチから助け出すメシアのイメージと重なると思います。ただこれは、イエスがメシアであることの側面、また、一部を表わしたに過ぎません。
聖書が述べるメシアとは、人の力や助けによって救い出すことができないピンチから、助け出してくださる方のことです。人の力や助けでは救い出すことができないピンチとは、「罪」です。イエス・キリストは、人を絶体絶命のピンチである罪から救い出すために、父なる神によって世に遣わされました。
神であるイエスが人となり、私たちと同じように生きて、人を罪から救い出すためになされたことは、力や権力や財力を使うのではなく、十字架の上でご自身の命を献げることでした。ご自身の命を献げることで、人を罪から救い出し、永遠の命に至る道を開いたのです。
私が聖書を読み、メシアの本当の意味を理解した時、これまで思っていたイメージとはまったく異なっていたので、非常に驚きました。イエスは、罪人とされ、十字架刑に処せられました。このことは、人間の目から見ると敗北です。しかし、イエス・キリストというメシアは、敗北に見える十字架の死によって、罪に勝利し、絶体絶命のピンチである罪から、人を救ってくださったのです。
私たちのメシアであるイエスは、ご自身を信じる人なら誰でも、ピンチから救い出してくださる方です。救い出された人は、この世にあって、イエスと共に生きるようにされます。そして、やがて訪れる救いの完成の時、メシアに救い出された人は、栄光の冠を受けることができるのです。
ラジオをお聞きのあなたが、メシアであるイエス・キリストに救われ、やがて訪れる終わりの日に、共に栄光の冠を受けることを願うのです。
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