7月12日(土) 詩編88編
主よ、わたしを救ってくださる神よ、昼は、助けを求めて叫び、夜も、御前におります。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』詩編88編2節
苦悩の中で祈り始めても、最後は感謝や希望で終わる詩編の多い中、88編の詩人は、自分の絶望的な状態を最後まで神に訴え嘆き続けます。重い病で若いときから苦しみ(16節)、親しい人たちから避けられ(9、19節)、何より、死の恐れと主に見放されたという絶望感に苦しみました(4〜8節、11〜13節)。
ここからどういうことを教えられるでしょうか。第一に、信仰者でも人生の最後まで苦悩が続くことがあり得るということです。エレミヤもそうでした。「こういう慰めのない孤独の苦悩も、神の現実と信仰の範囲内にあるという考えを身につけると良いと思う」(A・ヴァイザー)。
第二に、たとえ苦しみの中で死を迎えても、信仰者が救いにあずかることは確実です。主イエスは、たとえ話の中で、最後まで苦しんだ信仰者ラザロが、死後、アブラハムのそばにいることを語られました(ルカ16章19節以下)。主イエスの十字架の贖いの恵みと救いの力は絶大です。
そこで第三に、私たちはどこまでも神に訴え、神に叫び、神を呼ぶ信仰に留まりたいと思います。キリスト信仰は、この世の利得の道(1テモ6章5節)ではなく、死を超えた永遠の神からの慰めと栄光を保証するものだからです。
【祈り】
わたしを救ってくださる主よ、どんなに辛いときにも、あなたを仰ぎ望む信仰に固く留まらせてください。