聖書を開こう

小さな始まり、大きな成長(マタイによる福音書13:31-35)

放送日
2025年4月24日(木)
お話し
山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:小さな始まり、大きな成長


 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 小さな始まりが、大きな結果をもたらす話を耳にすることがあります。例えば、ほんの一言のあいさつがきっかけで深い友情が生まれたり、何気なく始めた趣味が、人生を変えるような転機につながることもあります。大きな変化は、しばしばとても小さな一歩から始まります。

 きょう取り上げようとしている箇所で、イエス・キリストは、神の国について語るとき、このような小さなものがやがて大きくなるたとえ話を用いられました。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書マタイによる福音書13章31節~35節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

 きょうの個所にも「天の国」という言葉が出てきますが、イエス・キリストがお語りになる「天の国」とは、死んだ人が行く「天国」のことではありません。王としての神が支配する現実を表す言葉であり、また、その支配が完成する将来の希望を語る言葉です。

 最初のたとえに出てくる「からし種」は、当時パレスチナで栽培されていた植物の中でも、特に種が小さいことで知られていました。ほんの砂粒ほどの大きさです。それが蒔かれて、根を張り、茎を伸ばし、やがては空の鳥が巣を作るほど大きな木になるというのです。

 このたとえは、神の国の働きが、一見取るに足らないように見えるところから始まり、やがては予想を超える広がりを見せるということを表しています。実際、イエス・キリストの働きもそうでした。ユダヤのベツレヘムという小さな町でお生まれになり(ルカ2:4)、ガリラヤの片隅にあるナザレで育ったイエスは、ごく普通の大工の子として知られていました。公生涯もわずか3年ほどで、最初に選んだ弟子たちもどこにでもいそうな12人にすぎませんでした。

 けれども、その「小さな始まり」がやがて世界中に影響を与える大きな福音のうねりとなりました。今日では、24億人近い人々がイエスを救い主と信じ、世界中に教会が建てられています。しかし、それでも、まだ世界の人口の30%にすぎません。日本では1%未満と言われています。

 次に語られるのが「パン種のたとえ」です。

 「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」(マタイ13:33)

 三サトンとは、約40リットルに相当する大量の粉です。それに対して、発酵の元となるイースト菌はごくわずかです。しかし、パン種が全体に混ぜられると、時間をかけて粉全体をふくらませる力になります。

 神の国の働きもまた、目には見えにくく、静かに、しかし確実に広がっていきます。それは、一人の心の中から始まるかもしれません。しかしやがて、それは家庭を変え、地域を変え、社会を変え、そして世界に広がっていく力となります。

 ここで注目したいのは、イエスが「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)と語られたことです。これは「あなたがたの心の中にある」とも訳せる言葉ですが、単なる内面的な体験というより、「あなたがたのただ中に、すでに始まっている現実」として語られています。つまり、イエスご自身の存在と働きによって、すでに神の国がこの世界に到来していたというのです。

 このように神の国は、「すでに」始まっています。イエスが来られたことによって、神の支配はすでに地上にしっかりと根を下ろしています。けれども同時に、神の国は「まだ」完成していません。私たちはなおも戦争、災害、不正義、痛みといった現実の中を生きています。そこには神の支配が完全には及んでいないように見える現実もあります。

 しかし、遅々として進まない神の国の進展に失望する必要はありません。これらのたとえ話は、完成したときの神の国の姿を語る希望の教えでもあります。

 私たちがこの神の国の恵みにあずかるのは、教会の交わりの中でもあります。教会とは、すでに神の国のしるしが現れている場所です。そこには赦しがあり、祈りがあり、愛の交わりがあります。もちろん、教会もまた「まだ完成していない」存在です。けれども、その不完全さの中に、神の国の光が差し込んでいます。

 また、個人の生活の中でも、神の国の働きは見えてきます。たとえば、自分勝手に生きていた人が、他人を思いやるようになる。怒りや憎しみを抱えていた人が、赦しと和解を選び取るようになる。自分には価値がないと思っていた人が、神に愛されていることに気づき、立ち上がる。これらはすべて、神の国が「あなたがたの間に」働いているしるしです。

 たとえ始まりが小さくても、決して侮ってはなりません。神は、からし種ほどの信仰を通して大きな働きをなさいます。パン種のように目に見えない祈りや奉仕が、やがて大きな変化をもたらします。

 イエスがたとえを用いて語られたのは、旧約聖書の預言を成就するためでもありました。

 「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。』」(マタイ13:35)

 これは詩編78編冒頭からの引用であり、神のご計画が天地創造の時からすでに準備されていたことを示しています。つまり、神の国は気まぐれな思いつきではなく、永遠のご計画に基づいて着実に進められているのです。

 今日、このメッセージを聴いてくださっているあなたにも、神の国の種が蒔かれています。それは、もしかしたらほんの小さな思いかもしれません。「もう少し人に優しくしたい」「聖書を読んでみようかな」「教会に行ってみようか」。そうした小さな思いが、神の御手の中で大きく育てられて行くのです。

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