杉山昌樹(新座志木教会牧師)
メッセージ: 言葉が伝わる時
いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
「言葉が通じない」という言い方があります。この場合、文法や単語がわからないのではなく、話の意図が全く伝わらないという意味です。聖書にもそのような場面がしばしば登場します。
ある時イエスは、ご自身のことをよく思っていないユダヤ人たちから、指導者のようにふるまっている根拠を示すように、と言われました。そこで「この神殿を壊してみよ、3日で立て直す。」と答えたのでした。それを聞いた反対派のユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに46年もかかったのだ。」と言ってあきれたと聖書にあります。これは典型的な「言葉が通じない」場面です。その後、聖書では「この神殿とはイエスの体のことだった」と続いています。(ヨハネ2:18-21参照)
しかしこの言い方は、私たち自身にとっても分かりにくいかもしれません。なぜなら「イエスの体が神殿である」ということも、それが「3日で建て直される」ということも、イエスのご復活を指しているという、キリスト教の教えが前提となっているからです。
問題は復活です。これを信じられるかです。そして確かなことは、この出来事を横で見ていた弟子たちもまた、復活がわかったのはだいぶ後であった、という事実です。それも、自分たちで考え抜いた末にわかったのではありません。復活のイエスご自身によって目が開かれた時に、体験的にわかったのでした。
言葉が伝わるためには出会いが必要です。そして出会いには時があります。それはすべてのことに当てはまるかもしれません。
【リモート賛美動画公開中】
こちらからご覧いただけます
讃美歌138番「ああ主は誰がため」をYouTubeで公開しています。チャンネルの登録もお待ちしています。