山下 正雄(ラジオ牧師)
メッセージ:空いた心は危険
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「心にぽっかり穴が開いたようだ」と感じた経験は誰にでもあると思います。大切な人を失ったとき、何かに熱中していたのにそれが終わってしまったとき、期待していたことが叶わなかったとき……そんなとき、私たちの心には大きな空白が生まれます。
多くの人は、この空白を埋めようとします。ある人は仕事に没頭し、ある人は趣味や娯楽に走り、またある人はお酒やギャンブルに手を出すこともあるでしょう。時には、新しい人間関係を求めたり、占いやスピリチュアルなものに惹かれることもあります。
はたしてその「心の空白」は、ただ何かで埋められれば良いというものなのでしょうか。きょう取り上げる聖書の個所では、空いた心がどれほど危険なものになり得るかが語られています。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書マタイによる福音書12章43節~45節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
この箇所を正しく理解するためには、まず歴史的背景を知ることが大切です。イエス・キリストがこの言葉を語られたのは、ファリサイ派の人々との対話の中でした。
ファリサイ派の人々は、表面的にはとても敬虔なユダヤ教徒でした。彼らは律法を厳格に守り、宗教的な儀式を大切にしていました。しかし、イエスは彼らの信仰の在り方を厳しく批判されました。なぜなら、彼らの信仰は外側だけを整えたものであり、本当に神に従う心が欠けていたからです。
しかも、マタイによる福音書の今までの文脈の中に登場するファリサイ派の人たちは、イエスを殺そうと相談したり、イエスのなしてきた救いの業をことごとく悪霊のかしらによって実現したものに過ぎないと主張した人たちでした。
自分たちは、他の人々のように汚れた者たちではなく、すっかり清められて正しく生きていると思い込んでいる人たちです。しかし、その実、神の御心を理解することができずに、悪い思いで満たされている人たちです。ファリサイ派の人たちに対するイエス・キリストの見立てはそのようなものでした。
その彼らに対してお語りになったのが、きょうの話です。
このたとえ話に出てくる「家」とは、人の心を象徴しています。汚れた霊が出ていき、心がきれいになったように見えても、そのまま何もないままでいるならば、もっと悪いものが入り込む危険があるというのです。
この話をもっと注意深く読むと、汚れた霊はイエス・キリストによって追い出されたのではなく、自分から出て行ったにすぎません。ファリサイ派の人たちは自分の力でこの汚れた霊を追い出したと思っているかもしれません。しかし、実際には、どういう理由かはわかりませんが悪霊自らが出て行って、他の居場所を探しているという状態です。ですから、元居た場所は、悪霊にとっては依然として「我が家」のままです。
これは、現代に生きる私たちにも当てはまります。例えば、悪い習慣をやめようと決心し、一時的に改善したとしても、それだけでは長続きしません。なぜなら、その心の空白を埋めるものがなければ、再び同じ悪い習慣に戻ってしまうからです。
依存症の問題でも同じことが言えます。お酒やギャンブルから抜け出した人が、別の依存に走ることがあるのは、「心の空白」を埋める何かが必要だからです。
この話から私たちが学ぶべきことは、単に悪いものを取り除くだけではなく、そこに神の霊を迎え入れなければならないということです。
私たちの心は、「空白」のままではいられません。何かで必ず満たされることが大切です。だからこそ、そこに神の聖霊が宿ることが大切なのです。
聖書は、「神の霊によって生きること」の大切さを繰り返し教えています。元ファリサイ派出身で、のちにクリスチャンとなったパウロは次のようにその大切さを語っています。
「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)
神の聖霊が私たちの心に満ちるとき、私たちは本当に新しく生きることができるようになります。イエス・キリストによって悪霊が追い出されるときには、心が空き家となるのではありません。聖霊が住んでくださる宮となるのです(1コリント3:16)。
では、この話を私たちの信仰生活にどのように適用できるでしょうか。イエス・キリストにって与えられた聖霊との関係はどのように維持されるのでしょうか。
第一に神との関係を深めることが大切です。心を神の霊で満たし続けるためには、日々の祈りと聖書のみ言葉が欠かせません。神のみ言葉を読み、祈ることで、私たちの心は神の愛で満たされ続けます。
第二に教会の交わりを大事にすることが大切です。私たちが一人で信仰を持ち続けるのは難しいことです。だからこそ、教会の交わりが必要です。
第三に良い習慣を身につけることが大切です。悪い習慣をやめるだけではなく、聖霊が結ぶ実に注意を払うことです。パウロは聖霊の結ぶ身についてこう語っています。
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラテヤ5:22-23)
これらの実が自分の内に実っているか、いつも点検することが大切です。実りがないのを知って失望するためではなく、実りが豊に与えられるようにと神の助けを謙虚に求めることが大切です。
今日のメッセージを通して、「空いた心」の危険性について考えてきました。あなたの心は今、何で満たされているでしょうか。
もし、心に空白を感じるなら、それをただ何かで埋めようとはしないで、神がその空白を埋めてくださるよにと祈り求めてください。そうすればどんな状況の中でも、揺るがない平安と喜びを持つことができるようになります。どうか神の霊が、あなたの心を豊かに満たしてくださいますようにとお祈りいたします。