礼拝を何よりもいちばんに

2月4日(火) 申命記17章

いかなる欠陥であれ傷のある牛や羊を、あなたの神、主にいけにえとしてささげてはならない。それは、あなたの神、主のいとわれることである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記17章1節

17章から18章にかけて、神の民の政治が扱われています。王、祭司・レビ人、預言者など民を治める者たちについての記述が長くあります。その指導者たちの記述の前に礼拝に関することが位置しています。冒頭に礼拝が記されていることが大事です。民を導く者たちの礼拝の姿勢が最初に問われているからです。

 欠陥のある犠牲の動物をささげることは主の「いとわれる」ことだとあります。これは偶像礼拝の罪を表すときにも用いられる言葉です。いい加減なささげ物をささげることは、月・太陽など被造物を神のように拝む偶像礼拝と同様に、主がひどくお嫌いになることなのです。

 そのような罪を犯した者は、厳格に証言を確認された上で、石打ち刑になりました。そのようにして「あなたの中から悪を取り除かねばならない」のです。しかし、厳しくも感じられます。

 私たちの時代に、礼拝に関する罪を犯すことで死刑になることはありません。ただし神が偶像礼拝をひどく嫌われることは同じで変わりません。私たちを深く愛してくださる神は、他の神々を愛することを嫌われる「熱情の神」(出20章5節)だからです。神の愛を知った者は、感謝を表す礼拝を何より大切にします。

 【祈り】 霊的命をいただく中心である礼拝において、私たちの心をまっすぐにあなたに向けさせてください。

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