1月18日(土)詩編68編
神は聖なる宮にいます。
みなしごの父となり
やもめの訴えを取り上げてくださる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編68編6節
この詩編の中心にあるのは、神の力は究極的には苦しんでいる人びとを救うことに向けられているという確信です。
神の力が表されるのは、暴力によって人が苦しむのを見て喜ぶためではありません。そうではなく、抑圧され、寄る辺のない人びとを守るためです。神の力を肯定する詩人は、他のすべての指導者を叱責しているのです。最後の数節には、地上のすべての王たちに対して、神の権威を認めるようにという呼びかけが含まれています。神の権威は神がお造りになったものにおいて、また造られたものを通して、明白だからです。
古代イスラエルでは、やもめや孤児は、保護、経済力、名誉を与えてくれる夫や父親を持たず、必死に生きていました。神は、夫や父親を欠いた人びとの保護者となって、その必要を満たしてくださいます。(6節)。同様に、主は見捨てられた人びとに家を与えてくださいました(7節)。
この詩編は歌であり、私たちもまた、この世の力の中で神の勝利を願う孤独な人たちと共に歌うように召されています。この歌は、無力な者を守る主の憐れみ深い力に倣うよう私たちを招きます。なぜなら、「この神はわたしたちの神、救いの御業の神、主、死から解き放つ神」(21節)だからです。
【祈り】 主よ、苦しむ者を守るあなたのゆるぎない愛の力を教えてください。