リジョイス聖書日課

サムエル上15章 主なる神は厳しいお方でしょうか

放送日
2025年11月14日(金)
お話し
長田詠喜(新所沢教会牧師)

11月14日(金) サムエル上15章

「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』サムエル記上15章22節

 アマレク人との戦いで、主は敵を幼児に至るまで滅ぼすこと、家畜も容赦なく撃ち殺すことを命じます。サウルは勝利を収めますが、捕虜を残し、上等な家畜を惜しみ隠しておきます。預言者サムエルは、サウルのこの振る舞いを厳しく指摘します。サウルは配下に責任転嫁し、主のための献げ物だと言い訳します。しかし、もちろん罪を免れることはできません。サムエルは主がサウルを退け、王国を取り上げることを宣告します。サウルはサムエルに縋り付いて罪を悔いますが、手遅れでした。

 敵を滅ぼし尽くせという指示も、罪を犯したサウルに対する裁きの言葉も、主の厳しさを印象づけます。聖書の神は異教徒や罪人を容赦なく滅ぼす恐ろしいお方だと言われるのは、こんなところかもしれません。

 しかし、サムエルは、主が恐ろしい方でいけにえを求めているのではなく、主に聞き従う人の心を求めておられることを教えています。主ご自身が変わることなく人を顧み、命を与えてくださるお方です。だから、私たちに対しても、変わることなく主の言葉に耳を傾け続けることが求められているのです。

 誠実な主に対して、人は誠実をもってはじめて応えられるのです。主への誠実を求め続けましょう。

 【祈り】

 主よ、私たちを顧みてくださり感謝します。私たちも変わることなく主に従えるようにしてください。

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