罪なき者の血を流した罪を取り除く方

2月21日(金) 申命記21章

あなたは主が正しいと見なされることを行うなら、罪なき者の血を流した罪を取り除くことができる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記21章9節

人の命は、神の像に創造された命です。どんな理由があっても人を殺すことは罪であり、必ず罪の贖いがなされなければなりません。「殺されて野に倒れている人が発見され、その犯人がだれか分からない」(1節)場合でもなされる必要があります。

 そのとき、主は、その罪の責任を犯人だけでなく、共同体にも問われます。なぜなら、人は孤立した存在ではなく、共同的存在でもあるからです。また、人が犯す罪は、生まれ育った家庭環境や彼の属する共同体の環境とも深い関係があるからです。

 主は、共同体に、罪なき者の血を流した罪の責任を果たさせるため、長老たちに、労役に使われたことのない雌牛を選ばせ、川の岸辺で雌牛の首を折ることを命じられました(4節)。「首を折る」とは、「身代わりとして殺す」ことを意味しています。つまり、この儀式は、罪を犯した共同体に対する神の裁きと罪の贖いを表しているのです。

 時満ちて、主は、人間の罪を贖うために、罪なき方である御子キリストを世に遣わし、御子の十字架の死を通して、罪の贖いを成し遂げてくださいました。キリストこそ、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ1章29節)です。このお方への信仰を通して、私たちの罪は贖われるのです。

 【祈り】 主キリストにあって、罪を贖われた恵みに感謝しつつ、主の御心に適う正しい歩みへと導いてください。

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